No.180 (ランダム表示)
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radonさんのすけべコラム(ポエム)👇
R18タグの札をペタリと貼れば、あらゆる万事が許される、そうかと思えば、たちまちFANZAばりの看板が林立し、我がサイトの景色が一大ピンク商店街に早変わりする。世の中の加減というものは難儀やね
たとえばフェラ、うーん字面が剣呑。
ならば オーラルと雅に言い換えてはどうでしょう。
けれど「口でする営み」も明らかにセックスの一部。だのに、タグを細分化した途端「これは本番に非ず」と別件扱いにするのも、どこか滑稽ではないですか?
かくして我々は迷路に入り込む。細分化せよと言えば辞書のようになり、まとめよと言えば大ざっぱすぎ。「線を引く者」には、常に 曖昧という鬼が取り憑くらしいです。
タグ分けとは、人が欲望を棚に並べ、値札を貼って安心したい。ただそれだけの話ではないですか。
思えば、かつての旦那衆は衆道も吉原も書付一枚で片づけた。それをいまどき、なんでもカテゴライズして安心しようとする。どちらが風流か、言わずもがなでしょう。
で!タグは増やしても減らしても文句は出る。ほな「面倒な日は R18一枚で済ます」くらいの無精さこそ、案外いちばん上等の作法かもしれまへん
いやだがしかし、わたしはそうしない。
なぜか。無精とは耳ざわりのいい怠惰であって、長く放置すれば埃が積もるということです。埃が積もれば、やがて誰かが「管理人は手を抜いた」と鼻白む。そこでようやく、わたしは変態的ですらある己の几帳面を自覚するんです。(生活態度は、大雑把なのに)
思えばタグとは庭の植木に吊るす札のようなもので。梅は梅、椿は椿。札が下がっていれば、お客は迷わず鑑賞できます。ところが一枚札に「花」とだけ書けば、お客は首をかしげ、「これは桜か藤か」と訊ねる。だってわからんし。そして訊ねられた瞬間、主は水を打たれた雀のように慌てるんです。自分ですら名を付けてへん花の世話をしてきたと。
そこで、わたしは札を増やす。「オーラル」「玩具」「羞恥」「汁多め」果ては「キスハメ手繋ぎラブラブフィニッシュ」まで。かくて庭は標本箱じみて、風流どころかTSUTAYAのAV棚と化す。けれど、それでもよいとおもいませんか?
なぜなら、札とは 「他人のため」に吊るすのではなく、「未来の自分」へ向けた備忘録だから。十日も経てば己の妄想ですら酔いが醒める。そのとき、札がぶら下がっていれば、かつての昂ぶり荒ぶりの在処がピンポイントで蘇る。 そして再び頁を繰り、「汁多め」の欄でにやりとする。この自己内リサイクルこそ、創作を長持ちさせる最良の防腐剤と、わたしは信じて疑わない
かくして今日も、札は増える。タグの迷路に迷うかも⁉️いやいや、上等。迷路とは、口実を得て再訪する者だけが愉しめる庭園なんですよ。
「管理が煩雑ですぞ」と笑う向きには、こう言ってお返ししよう。「煩雑こそ我が悦楽。整頓は他人に任せた覚えはない」
R18 一枚で済ます向こう見ずより、千枚の札で自分の欲望を照らし出す偏執があってもよいのです‼️以上畳む
R18タグの札をペタリと貼れば、あらゆる万事が許される、そうかと思えば、たちまちFANZAばりの看板が林立し、我がサイトの景色が一大ピンク商店街に早変わりする。世の中の加減というものは難儀やね
たとえばフェラ、うーん字面が剣呑。
ならば オーラルと雅に言い換えてはどうでしょう。
けれど「口でする営み」も明らかにセックスの一部。だのに、タグを細分化した途端「これは本番に非ず」と別件扱いにするのも、どこか滑稽ではないですか?
かくして我々は迷路に入り込む。細分化せよと言えば辞書のようになり、まとめよと言えば大ざっぱすぎ。「線を引く者」には、常に 曖昧という鬼が取り憑くらしいです。
タグ分けとは、人が欲望を棚に並べ、値札を貼って安心したい。ただそれだけの話ではないですか。
思えば、かつての旦那衆は衆道も吉原も書付一枚で片づけた。それをいまどき、なんでもカテゴライズして安心しようとする。どちらが風流か、言わずもがなでしょう。
で!タグは増やしても減らしても文句は出る。ほな「面倒な日は R18一枚で済ます」くらいの無精さこそ、案外いちばん上等の作法かもしれまへん
いやだがしかし、わたしはそうしない。
なぜか。無精とは耳ざわりのいい怠惰であって、長く放置すれば埃が積もるということです。埃が積もれば、やがて誰かが「管理人は手を抜いた」と鼻白む。そこでようやく、わたしは変態的ですらある己の几帳面を自覚するんです。(生活態度は、大雑把なのに)
思えばタグとは庭の植木に吊るす札のようなもので。梅は梅、椿は椿。札が下がっていれば、お客は迷わず鑑賞できます。ところが一枚札に「花」とだけ書けば、お客は首をかしげ、「これは桜か藤か」と訊ねる。だってわからんし。そして訊ねられた瞬間、主は水を打たれた雀のように慌てるんです。自分ですら名を付けてへん花の世話をしてきたと。
そこで、わたしは札を増やす。「オーラル」「玩具」「羞恥」「汁多め」果ては「キスハメ手繋ぎラブラブフィニッシュ」まで。かくて庭は標本箱じみて、風流どころかTSUTAYAのAV棚と化す。けれど、それでもよいとおもいませんか?
なぜなら、札とは 「他人のため」に吊るすのではなく、「未来の自分」へ向けた備忘録だから。十日も経てば己の妄想ですら酔いが醒める。そのとき、札がぶら下がっていれば、かつての昂ぶり荒ぶりの在処がピンポイントで蘇る。 そして再び頁を繰り、「汁多め」の欄でにやりとする。この自己内リサイクルこそ、創作を長持ちさせる最良の防腐剤と、わたしは信じて疑わない
かくして今日も、札は増える。タグの迷路に迷うかも⁉️いやいや、上等。迷路とは、口実を得て再訪する者だけが愉しめる庭園なんですよ。
「管理が煩雑ですぞ」と笑う向きには、こう言ってお返ししよう。「煩雑こそ我が悦楽。整頓は他人に任せた覚えはない」
R18 一枚で済ます向こう見ずより、千枚の札で自分の欲望を照らし出す偏執があってもよいのです‼️以上畳む






